漠然とした不安

Berryz工房SSAで公演するそうですね
そのことについては少し不安を感じます
それは噂になっているような誰かが卒業することに対してではないです
SSAはついこの前、あのU2が来日公演を行ったようなところで、
モーニング娘。も昨今では席を埋めるのが
難しくなってきたような場所らしいです
それが今まで2000人台のキャパでやってきたようなBerryz工房が埋めるのは
難しいだろうし、そういった大きな場所に求められるような実力も今の所は
まだ成長過程にある彼女達が持ち合わせているとは、とても思えないです
つまり、何が言いたいかというとデビュー当時から違和感を感じていたことで、
彼女達の実力とか成長とかを無視してどんどんリリース、
イベント、スペクタクルを引き起こしていって、
とにかく消費に結び付けて行こうとするやり方には
どうかなとかねがね思っていて、今回、それがとても露骨な形で
現れてきちゃったなぁと感じてならないです
もうちょっと彼女達を育てて行こうという気持ちや、
将来に繋がる地道な活動を目指して欲しいと個人的には切に願ってならないです
また、話は飛ぶのですがNHKで『カッティング・エッジ』というハリウッド映画の
編集に関しての番組の中でマーティン・スコセッシ監督が、細かくカットを繋いで
スピード感を出して刺激を与える最近の編集に、それを受け取っている若者達は
次々に消費し、次々と捨てていっているようで
そういった最近の編集の流れには不安を憶えるみたいなことを言っていました
Berryz工房の活動に関して、監督が感じたような不安と
共通するようなものを感じました
心を汲んで意訳すると、ただ消費されていくだけでそういったものは
映画の文化としては残らずただ捨てられていき何も残らないという
不安ではないかと思います
Berryz工房も表現するものが、表現したものとは関係なく
ただメンバーの可愛さを消費するだけの
ファンの手段とか方法にとなってはいないでしょうか
イベントに参加するため、特典を入手するために大人買いをされていく
状況を見ていると少し不安に感じます
それは、文字通りただ消費され、そして捨てられているように
僕は思えてならないです
その表現したものは何も残らず、文化というと大袈裟ですが、
その人の心にも記憶にも刻まれていないのではないかな
どことなくそういう流れを受けてかBerryz工房のパフォーマンスにも
”軽さ”を感じてしまいます
アイドルだからそれでいいんだという考えもあるかと思われますが、
僕はそれでは余りにも寂しく思えます
僕は”表現”はそれを受け取る者の心を揺り動かすための
手段や方法であって欲しいと常に思います